中城城跡

沖縄の世界遺産の一つです。

壮大なスケールで、たまにここの広場でコンサートも。
 沖縄本島を那覇から東海岸沿いに走る329号線を北上していくと、中城村に出ます。
看板にしたがって左に折れると、登り坂が続き、成田山別院の入口を過ぎて少し行くと、中城城跡公園の駐車場があります。
ここも2000年の12月に世界遺産に指定されたグスク跡の一つですが、規模、保存状態ともに優れたものです。
大人300円の入場料を払ってはいっていくと、数年前に組み踊りが上演された事のある、広い芝生のある視界の開けたところに出ます。
  残念ながら私はこの時見に来る事ができませんでしたが、次回ここでコンサートでも有ったら絶対に来たいと思える空間。
戦後は、しばらくの間県民の憩いの場になっていたようで、遊園地も出来ていたそうです。
  以前来たときには入口の向かい側に、古い建物があり博物館になっていたのですが、跡形なく綺麗に整地されていました。管理しているおばさんが、展示物について丁寧に説明してくれたりして、なかなか味のある施設だったので、ちょっと残念。

  この城の正確な築城年代や築城者は不明で、もともとこの地方を治めていた按司が居城としていたものを1400年代前半に尚巴志の家臣で名将であるだけでなく、琉球随一の名築城家として知られている護佐丸盛春(ごさまるせいしゅん)が、今帰仁、座喜味城主を歴任した後、中城城に移り住んで改築し、現在の形が出来たとされています。
初期の石積みと較べると、この改築時になされた石積みは、かなり洗練されて美しいと同時に強固なものになっていて、見学してみると、その違いを見分ける事ができます。
ペリー提督が浦賀に行く前、1853年に沖縄に立ち寄った際に、琉球王府と外交交渉を行うとともに各地を視察、中城城にも立ち寄り、優れた築城技術に驚いて、日本遠征記に
「要塞の資材は石灰岩であり、その石造建築は賞賛すべきものであった。石は非常に注意深く刻まれて繋ぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないがこの工事の耐久性を損うようにも思わなかった。」と記しています。

中城城跡全景
中城城跡の石組み
ペリー一行が中城城跡に立ち寄った図
ペリーの日本遠征記の絵
中城城跡日本軍の破壊跡
日本軍が穴を掘ろうと試みた跡

この美しくも強固な城の跡で、大戦中は日本軍がこの城壁の下に塹壕を掘ろうと試みては見たそうですが、石積み自体の基礎が強固な琉球石灰岩で出来ている上に、二重の石積みがなされている事を確認して断念したそうで、その跡が今もそのまま残っています。
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