大戦前の昭和11年、旧首里城北殿を利用して「郷土博物館」が作られました。これがこの博物館のいちばん始めの形といえるでしょう。
しかし昭和20年、大戦の戦火のために全焼。
その年の8月には米海軍軍政府は残欠文化財を収集して、石川市字東恩納に「沖縄陳列館」を作りました。

この場所は以前中城御殿と呼ばれ、尚家の血筋の人達が住んでいた場所で、周りの石垣は扇形であいかた積みという高度な石の積み方がなされていて、その一部は戦前の形をとどめており、修復部分もそれに習って作られています。
2007年7月には新都心に新しい県立博物館と美術館が完成する予定ですが、今までのこの場所も、その歴史に見合った跡地利用がなされますように心から願っている次第です。
新しい博物館は、オープンしたら早めにレポートさせていただきます。

また県民の有志により、首里城周辺の廃墟の中から残欠文化財の収集が行われ、昭和21年頃に首里汀良町に「首里市立郷土博物館」が設立されます。
翌年の昭和21年、沖縄陳列館は沖縄民政府に移管されて「東恩納博物館」と改称して新たに発足します。これらが県立博物館の直接の前身です。
そしてその後沖縄民政府首里博物館と改称され、
28年には東恩納博物館と首里の博物館が合併して現在の地に移り、30年に「琉球政府立博物館」と改称します。
また、41年には現在の場所に米国の協力で新館を建設。そして1972年に日本への返還とともに沖縄県立博物館となったわけです。
(以上県立博物館の資料より)
2006年03月更新
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