宜野湾市民大会

2004年9月14日

辺野古基地建設案に固執する県は、この集会には一切の参加をしませんでした。 

 台風のために9月5日に設定された市民大会は、一週間ずれ込んで12日に開催されました。
 この集会は、単なる市民大会と違い、沖縄のおける基地の意味の明確化、そして、県、国、アメリカへの問題提議ができるかのスタートとなる第一歩であると位置付けられる物だと考えていた私は、この延期がどう影響するか、少し不安でした。
 ところが、時間前に会場に行ってみると、そこは人、人、人。沖国大の元気な学生諸君が、大きな声で事故の様子を人々に伝え、グラウンドには大勢の団体や、家族連れ、友人達の集まり、お年寄りや子供達まで大勢の人々が集まリ、テントの中には宜野湾市長をはじめ、大勢穂関係者が待機していました。

 スタートの2時。
すでに2万人近くと思われる人々が会場を埋め、集会は始まりました。平和のシンボルの鳩達が真っ青な空に放たれ、多くの方の挨拶と基地をなくして安全を取り戻そうとする決意表明。

 この頃になっても、会場へ向う人々の波は途切れることなく、30分経過しても行列のように続いていました。(こんな時にもウチナータイム?(^^ゞ)
 最終的には3万人以上に膨れ上がった大会は、市の予想の3倍の参加と言う事になります。
 しかし、県からの正式参加は、全くありませんでした。 

 私は少し早めに会場を出ましたが、途中で辺野古の基地反対を叫ぶ一団にあいました。
 辺野古に集まって欲しい。そして反対運動のための船をチャーターするお金をカンパしてほしいということです。辺野古は海に面した集落なのにと思って、地元の漁師さん達は協力してくれないのかと訊ねてみると、
「辺野古の漁師の多くは、お金をもらっていて、私たちと一緒の行動は出来ないんです。お金で分断作戦にでるなんて…」
と言う答えが返ってきました。





県内移設など、正気の沙汰ではないとの考えは、お金の前ではもろいものなのでしょうか…
狭い部落内で、意見を対立させられている辺野古の現状は、実に悲しいものです。

 何はともあれ、危険極まりない普天間基地の反対運動が無事に市民レベルでもスタートが出来たと いう事を確認できて、ほっとしました。
 当サイトでは、これからも沖縄を話す上で避けて通る事の出来ない基地問題も、情報提供させていただきます。 


宜野湾市民大会
 

2004年9月作成 2005年11月更新

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